外為についての情報

■Infomation

株式とは?

オール讀物(オールよみもの)は、文藝春秋が発行する月刊娯楽文芸雑誌である。同社の『文學界』とは対をなす。 1930年7月、臨時増刊『オール讀物號』として出版されたものが、1931年4月から定期の月刊雑誌となり、現在に至っている。初代編集長は、のちの文化勲章受章者で小説家でもある永井龍男であった。 エンターテインメント系の小説が中心だが、随筆・紀行文・対談・漫画など、気楽に読める読み物が多い。小説は、時代小説とミステリーが中心で、同じ傾向の雑誌である『小説すばる』、『小説新潮』、『小説現代』などにくらべ、読み切りが多い。 毎年3月号と9月号に、直木賞の批評と受賞作品(ダイジェスト版のことが多い)が掲載される。読者層は中高年が主体で、掲載内容の傾向もそれに沿っている。 オール讀物新人賞とオール讀物推理小説新人賞を主催していたが、2008年から両賞はオール讀物新人賞に統合された ホトトギスは、1897年(明治30年)1月に正岡子規、高濱虚子らが創刊し、合資会社ホトトギス社が発行する俳句雑誌。夏目漱石が小説『吾輩は猫である』を発表したことでも知られる。 概要 現在、ホトトギス社の主宰は高浜虚子の孫にあたる稲畑汀子が勤めており、また、ホトトギス誌の編集長はその息子、稲畑廣太郎が勤めている。 ホトトギス社はホトトギス誌以外に書籍も編集・発行しているが、発売元はホトトギス社のものと他の版元のものがある。例えば歳時記は、虚子編「新歳時記」やホトトギス編「ホトトギス新歳時記」を三省堂が発売している。虚子編「新歳時記」は基本的に高濱虚子が編集したものだが、ホトトギス編「ホトトギス新歳時記」は、全国の俳人からホトトギス誌に寄せられた句を元に編集したもの。 ホトトギス社は長年、旧丸ビルに入居していたが、丸ビルの建て替えのため、三菱ビルに移った。 近代児童文学・児童音楽の創世期に最も重要な影響を与えた。1923年の10月号を関東大震災により全焼、12月号を雑誌組合の協定により休刊、1929年〜1931年の間一時休刊するが三重吉の死(1936年)まで196冊刊行され続けた。 鈴木三重吉の目から見て低級で愚かな政府が主導する唱歌や説話に対し、子供の純性を育むための話・歌を創作し世に広める一大運動を宣言し『赤い鳥』を発刊した。創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声らが賛同の意を表明した。表紙絵は清水良雄が描いた。 その後菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風らが作品を寄稿した。 この様な運動は誌名から「FX 鳥運動」と呼ばれるようになった。また、『金の船』(1919年、代表者:斎藤佐次郎)、『童話』(1920年、代表者:千葉省三)といった類似の児童雑誌が創刊された。 北原白秋は『FX 』において自作の童謡の発表を行いながら、寄せられる投稿作品の選者として重要な役割を果たした。 1918年11月号に西條八十の童謡詩として掲載された『かなりや』に、成田為三の作曲した、先物取引 の付いた童謡がはじめて翌1919年の5月号に掲載された。元々童謡は文学的運動としてはじまり、当初は鈴木三重吉も童謡担当の北原白秋も、童謡に旋律を付けることは考えていなかったが、この5月号の楽譜掲載は大きな反響を呼び、音楽運動としての様相を見せるようになった。それまでの唱歌と違い、芸術的な香気が高い詩、また音楽的にも従来の唱歌と違い、単純な有節形式でない唱歌と異なる音楽に人々は衝撃を受け大評判となった。以後、毎号、歌としての童謡を掲載。この後、多くの童謡雑誌が出版されたことで、大人の作った子供のための芸術的な歌としての童謡普及運動、あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となっていった。 1984年に日本童謡協会は『赤い鳥』が創刊された7月1日を「童謡の日」と定めた。 評価 一流の文学者による作品は、児童文学全体のレベルを高めた。また、新美南吉をはじめとする次代の児童文学作家を発掘・育成したことも評価される。一方「童心主義」と呼ばれる方針は、作家の理想を子ども像に仮託したもので、実際の子どもの姿から遊離していたという批判も後になされた。また、寄稿を試みた宮沢賢治の作品を三重吉がまったく評価せず、掲載に至らなかった点も、本誌の限界と評されることがある。 漫画家のやなせたかしはこども時代、家に蓄音機があり、クラシックのレコードのほか、「青い目の人形」や「かなりや」など「赤い鳥運動」の頃の童謡が揃っていて、小さな時からそうした音楽に親しんだと述べている。(出典:讀賣新聞、2007年6月12日) テレビアニメ 1979年2月5日 - 7月30日にテレビ朝日系、FX 動画制作で、毎週月曜19:00 - 19:30(JST)に、『赤い鳥』に掲載された童話をアニメ化した『日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ』(『まんが赤い鳥のこころ』)が放映されていた。 『アララギ』は日本を代表する短歌結社誌。1908年(明治41年)に伊藤左千夫を中心に『阿羅々木』として創刊。翌年『アララギ』と改題され、正岡子規門下の歌人らが集まった根岸短歌会の機関誌となった。 1997年12月に終刊。これを不動産 とした同人たちの手により『新アララギ』『短歌21世紀』『青南』の『アララギ派』の四派に分かれ新創刊され、それぞれ後継結社を名乗った。 子規の短歌論を信奉し『アララギ』に拠った歌人たちをアララギ派と称する。写実的、生活密着的歌風を特徴とし、近代的人間の深層心理に迫り、知性的で分析的な解釈をした。アララギの系譜を引く結社全てを合わせると現在に到るまで歌壇の最大勢力である。1997年の『アララギ』の分裂に伴って『アララギ派』という結社誌が新たに創刊されたため、以降は、両者を区別するためアララギ系と言い換えるようになった。広義の意味でアララギ系に分類される結社には『新アララギ』『短歌21世紀』『未来』『塔』『歩道』などの全国結社のほか、『柊』『林泉』『群山』『関西アララギ』等をはじめ非常に多くの地方結社がある。『新潮』(しんちょう)は、新潮社が発行している月刊の文芸雑誌。1904年5月創刊。 新潮新人賞を主催し、川端康成文学賞と三島由紀夫賞と萩原朔太郎賞の受賞発表を行っている。『新潮』と、『群像』(講談社)、『文學界』(文藝春秋)、『すばる』(集英社)、『文藝』(河出書房新社)、の五誌が「五大文芸誌」と呼ばれ、これらに掲載された短編、中編から芥川賞が選考される。 佐藤義亮が経営難のために手放した『新声』が前身。一部の立場に固執しない編集姿勢を守り、日本を代表する文芸雑誌となった。歴代の編集長は齋藤十一、坂本忠雄等。現在の編集長は矢野優。 『文藝春秋』(ぶんげいしゅんじゅう)は、株式会社文藝春秋が発行する雑誌(総合誌)である。 概要 1923年1月、菊池寛が大きく揺れ動いた時代を背景に私財を投じて創刊した(文藝春秋創刊の辞)。文藝春秋という誌名は菊池寛が『新潮』で連載していた文芸時評のタイトルから来ている。敗戦後、菊池寛が戦争犯罪の責任を問われたため一時廃刊の危機にあうが、鷲尾洋三が編集長となり文藝春秋新社を興して再スタート。 伝統、風格、売り上げ、質、以上の全ての面で日本を代表する言論誌である。月刊で、毎月1日発行、10日発売。判型はA5判、ページ数は通常は448ページ。目次は折り畳み式。カバーするジャンルは政治、経済、経営、社会、歴史、芸能、軍事、皇室、教育、医療、スポーツと多岐に及ぶ。政治家、研究者、実業家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家による論文や記事が、毎号三十本ほど掲載される。 創刊時は倉田百三、島田清次郎などの女学生に人気のあった作家のゴシップを掲載する記事も多く見られた。70年代前半までは菊池寛時代の名残から作家の人物批評やゴシップ記事が何度も取り上げられた事があったが、80年代に入ると出版社の肥大化によって商業主義的色彩を強めざるをえなくなりこうした記事は一切見られなくなった。近頃は読者層の高齢化に合わせてか、団塊の世代が好む昭和ネタを組む事が多い。 傾向としては日本共産党、社会民主党など左派政党には批判的で、これらの政党の政治家の文章は全くと言っていいくらい掲載されない(2005年9月号では、社会民主党元党首土井たか子の戦争体験談が掲載されるなどしており若干の例外がある)。公明党と創価学会も同じ。 複数の文学賞を主催しており、2月号で文藝春秋読者賞、3月号と9月号で芥川賞、6月号で大宅壮一ノンフィクション賞、7月号で松本清張賞、12月号で菊池寛賞の受賞者が発表される。特に芥川賞等の時は販売部数が大きく増大する。金原ひとみや綿矢りさの受賞作掲載では記録的な販売となったこともあり、受賞者選定自体が販売を念頭に置いた話題作りではないかという声もあがった。 会社の看板媒体でもあることから、文春社内では「本誌」と通称されている。