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1974年11月特別号で、田中健五編集長は「田中政権を問い直す」という特集を組み、立花隆「田中角栄研究−その金脈と人脈」と児玉隆也「淋しき越山会の女王」の2つのレポートを掲載する。これが田中角栄の内閣を退陣へと追い遣るきっかけになった。 1990年12月号に「昭和天皇の独白8時間 太平洋戦争の全貌を語る」を掲載。話題を呼び、発行部数は105万部を記録。その後「昭和天皇独白録」(文春文庫)として出版された。 2004年3月号では第130回芥川賞の受賞作が掲載され、金原ひとみと綿矢りさという同賞史上最年少者が受賞したことが話題を呼び、初回刷数が80万部、最終的には過去最高の118万5000部を発行した。このことからか、話題作りの芥川賞選定の傾向が強まったとも言われる。 2005年12月号に掲載された「『バターン死の行進』女一人で踏破」の記事をめぐって、「歴史を誤って伝えるものである」としてユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」から抗議を受けた。 『ユリイカ』(「見つけた」を意味する"Eureka"から)は青土社から刊行されている月刊誌(但し書籍扱いであり、ISBNを付与されている)。詩および批評を中心に、文学、思想などを広く扱う芸術総合誌である。 歴史 伊達得夫が書肆ユリイカを設立し発行し始めたのに始まる。これは、1956年から、伊達が死去する1961年まで発刊された。第2次として清水康雄が青土社を設立し1969年より発刊、現在まで続く。 毎号、特定の作家(詩人、くりっく365 、漫画家、アニメーション作家、芸術家など)、作品、ジャンルや注目すべきキーワードを特集として取り上げている。年間4回程度、臨時増刊号も発行されている。主な寄稿者に大岡信、飯島耕一、中村稔、山本太郎、吉岡実など。 群像(ぐんぞう)は講談社発行の月刊文芸雑誌。1946年10月創刊。 群像新人文学賞を主催し、野間文芸賞と野間文芸新人賞の受賞発表も行っている。 執筆者には大江健三郎、村上春樹、村上龍を始めとするポスト・モダンの作家が多く、群像新人賞が優れた新進作家に多くの道を開いた事もあって、実験的な手法による作品が掲載される事が多い。主要文芸誌の中で、群像新人賞のみが評論部門をもっている事もあり、新人評論家発掘に功績がある。3人による〈創作合評〉、匿名時評〈侃侃諤諤〉などの名物コーナーもあり、それが特色ともなっている。 『新潮』(新潮社発行)、『FX 界』(文藝春秋発行)、『すばる』(集英社発行)、『文藝』(河出書房新社発行)、の四誌と合わせて純文学系統の「五大文芸誌」とされている。 文藝(ぶんげい)は日本の文芸雑誌である。 1930年代、改造社が刊行していた雑誌。 1960年代初頭から河出書房新社が刊行している雑誌。本稿で解説。 概要 当初は月刊誌だったが、1980年代なかばからは季刊誌となっている。公募の文藝賞を主宰し、若手の書き手を発掘している。田中康夫『なんとなく、クリスタル』、堀田あけみ『1980年アイコ16歳』、綿矢りさ『インストール』、三並夏『平成マシンガンズ』などが受賞作である。この文藝と、『群像』(講談社発行)、『新潮』(新潮社発行、『文學界』(文藝春秋発行)、『すばる』(集英社発行)の四誌をあわせ「五大文芸誌」とよばれる。 すばるは集英社が刊行する文芸雑誌である。1970年代に創刊されたときは季刊誌であったが、1970年代末に月刊になった。石川淳の連載を創刊当時は目玉商品としていたが、月刊になってからは、若手女性作家を多く起用している。純文学路線をとっており、『小説すばる』とは対をなしている。すばる文学賞を主催している。 『群像』、『新潮』、『文學界』、『文藝』とならんで、「FX 」と呼ばれる。 YIVO(イーヴォ)は1925年、ユダヤ教文化の一大中心地ヴィルノにおいて、マックス・ヴァインライヒらにより投資信託 科学研究所(ユダヤ学研究所) Yiddisher Visnshaftlikher Institut として設立され、ナチスの蛮行を逃れて1940年にアメリカに移ってからは (YIVO)ユダヤ調査研究所 Institute for Jewish Research を正式な名称とする組織である。YIVOというイニシャルによってよく知られている。 主にヨーロッパ東方の外国為替証拠金取引 (アシュケナジム系)のイディッシュ語・イディッシュ文化の探求・研究・保存・振興のための機関ということになる。 また、もっとも有力なイディッシュ語のヘブライ文字表記法(正書法、綴字法) en:orthography(「YIVO式」といわれる)を提唱し、またイディッシュ語の辞書編集(編纂) lexicographyを行っている機関でもある。 原稿、稀覯本、日記などを保管している。ニューヨーク本部は100万以上の本を所有し、その他200万以上の保管物品がある。 エース・ブックス(英: Ace Books)は、サイエンス・フィクション (SF) とファンタジーの書籍を専門とする出版社であり、現在も出版を続けている中では最古参である。1952年、アーロン・A・ウィンがニューヨークで創設した。当初はミステリーと西部劇を中心とした出版社だったが、間もなく他のジャンルにも進出し、1953年には最初のSF作品を出版している。そして、SFへの進出が成功し、SFが同社の中心となっていった。他にも、ノンフィクション、ゴシック小説、メディアとのタイアップによるノベライゼーション、恋愛小説なども手がけてきた。 エースは、いわゆる dos-a-dos 形式(2つの作品を背中合わせで一冊にした形式)の本で知られているが、これは同社が考案した形式ではない。初期の作品の多くは、このエースダブル (Ace Double) 形式で出版され、エースでは1973年までジャンルの異なる作品もエースダブル形式で出版していた。これは本の収集家をひきつけ、珍しい作品の状態のよい古本は千ドルの値がつくことがある。 エースはバランタイン・ブックスと共に資産運用 を最初の約10年間リードしてきた。しかし、1967年に創設者ウィンが死去すると、同社の幸運にも翳りが見えるようになってきた。2人の著名な編集者ドナルド・A・ウォルハイムとテリー・カーは1971年に同社を退職し、1972年にはエース・ブックスは Grosset & Dunlap に売却された。その後のM&Aで Berkley Books の一部となった。さらに、Penguin Group のインプリントとなり、その編集スタッフは別のインプリントである Roc Books と共通となっている。 編集者ドナルド・A・ウォルハイムは1952年、エイボン・ブックスで働いていたが、自分の仕事に満足できなかった。転職を考えていたころ、アーロン・A・ウィンに会う機会があり、彼に新たなペーパーバック出版社を始めることを持ちかけた。ウィンはパルプ・マガジンなどの出版で知られる A. A. Wyn's Magazine Publishers のオーナーである[2]。ウィンの出版するパルプ・マガジンとしては Ace Mystery や Ace Sports があり[3]、エース・ブックスという名称はそれらに由来していると思われる。ウィンはウォルハイムの考えを気に入ったが、実行に移すまで数ヶ月を要した。その間、ウォルハイムは職を転々とし、その中にピラミッド・ブックスでの編集助手の仕事があった。ピラミッド社は身元保証人としてウィンの妻であるローズに電話を入れた(ウォルハイムが彼女の下で働いていたと勘違いしていた)。ローズがウォルハイムが転職したことを夫に知らせると、ウィンは心を決め、ウォルハイムを編集者として雇ったのである[4]。 エース・ブックスの最初の本は2つのミステリ小説(キース・バイニングの Too Hot for Hell とサミュエル・W・テイラーの The Grinning Gismo)を背中合わせに一冊にしたもので、価格は35セント、シリアル番号は D-01 だった。これは、本をひっくり返すともう一方の小説を最初から読めるようになっているもので、両面が表紙になっていて、(時には間に広告ページを挟んで)真ん中あたりに2つの小説の末尾が来るようになっているものである。この形式はエース・ブックスの発明のように思われているが、そうではない。しかし、その後21年間に渡ってエース・ブックスがこの形式で本を出版し続けたため、同社がこの形式では最も有名となった。この「エースダブル (Ace Double)」形式の欠点は、2つの小説の長さが制限される(合計で256ページから320ページ)点で、そのために一方または両方の小説を短くしなければならないことがしばしばあった。表紙には "Complete and Unabridged"(完全版であって短縮版ではない)とあったが、実際には短縮版ということがあった[5]。 主なDシリーズの初期作品としては、ウィリアム・S・バロウズの処女長篇『ジャンキー』(ウィリアム・リーの筆名を使用)、フィリップ・K・ディック、ロバート・ブロック、ハーラン・エリスン、ルイス・ラムーア(筆名としてジム・メイヨーも使用)らの作品がある[6]。 初期シリーズ最後のエースダブルは John T. Phillifent の Life with Lancelot とウィリアム・バートンの Hunting on Kunderer を一冊にしたもので、1973年8月(シリアル番号 #48245)に出版された。1974年には再びエースダブルの名が復活したが、それまでとは異なり普通に2作品を一冊にしたものになっていた。エースダブルの出版は1988年まで続いた。エース・ブックスは650冊弱のエースダブルを出版し、そのうち600冊以上が古い形式(両表紙でひっくり返して読む形式)である。 1950年代から1960年代: ジャンルの特化 エース・ブックスの2冊目は西部劇もので、ウィリアム・コルト・マクドナルド の Bad Man's Return と J. Edward Leithead の Bloody Hoofs を一冊にしたものであった。当初はミステリーと西部劇をほぼ交互に出版していたが、例外としてP・G・ウッドハウスの Quick Service と The Code of the Woosters を一冊にしたものがある。1953年、A・E・ヴァン・ヴォークトの『非Aの世界』と『宇宙製造者』を組み合わせた一冊でSF進出した(それ以前に、SF的ストーリーである セオドア・S・ドラックマンの Cry Plague! があったが、これと組み合わせられた レスリー・エジレイの The Judas Goat はSFではない)。その後もSF作品のエースダブルが出版され、徐々に比重が大きくなっていった。1955年にはミステリーや西部劇よりもSFの方が多くなり、1961年以降はミステリーと西部劇を合わせたよりもSFの方が多くなった。エース・ブックスは1950年代には、非行少年を主人公とした小説も出版していて、現在ではコレクションの対象となっている。例えば D-343 The Young Wolves(Edward De Roo)、D-378 Out For Kicks(Wilene Shaw)などがある